ギター弦の音は時間とともに劣化します。特に低音弦は数週間で交換が必要になることもあり、ギター愛好家にとってそのコストは悩みの種です。しかしながら、ギターの低音弦がなぜ劣化するか考えたことはありますでしょうか?この記事では30年以上前に発表された研究論文をひもとき、その理由に迫ります。
ぼけた張りのない音になる低音弦
ギター弦は大きく分けて、高音3本に使われるプレーン弦と、低音3本に使われる巻き弦に分けられます。
このうち音の劣化が激しいのが低音弦です。
毎日1時間弾いていると1カ月も経たずにぼけた張りのない音になってしまいます。
これでは気持ちよく弾けないので交換することになりますが、最近は弦の値上がりが激しく、そのコストがばかになりません。
ただ、そもそもなぜ低音弦の音は劣化するのでしょうか?低音弦の見た目の変化としては、
- 錆びる
- 巻きが崩れる
- 切れる
といったものがありますが、このうちのどれが、あるいはほかの要因が、音の劣化に大きく寄与しているのかについてはあまり知られていません。
また、「音が死んだ」状態というのはどういう状態なのかも、感覚的にはわかっていても、実際どういう状態なのかわかっていないのではないでしょうか。
「Analysis of “live” and “dead” guitar strings」を紐解く
そこで30年以上前に発表された研究論文である、「Analysis of “live” and “dead” guitar strings(生きているギター弦と死んだギター弦の解析)」を紐解き、その理由を探りたいと思います。
この論文は1987年11月にJOURNAL of the CATGUT ACOUSTICAL SOCIETYという論文誌に掲載されました。
ちなみにこのCATGUT ACOUSTICAL SOCIETYという学会は2004年にViolin Society of Americaという学会に吸収されたようです。
音の劣化の原因は巻き弦の間に存在する1ミクロン以下の異物
この論文の結論としては、ギターの低音弦の音が劣化する原因は、巻き弦の巻きの間に存在する1ミクロン以下の異物なのだそうです。
これはアコギやエレキのスチール弦だけでなく、ナイロンを芯線とするクラシックギター用の弦でも同じとしています。
実際に走査型顕微鏡でその様子を撮影した写真が論文に掲載されています。
まず、こちらが新品のオーガスチンレッドの4弦です:
ご覧の通り、巻き弦の表面も巻きの間もなめらかできれいな状態といえます。
ちなみに真ん中の画像は左端の画像の6.7倍、右端は左端よりも16.7倍拡大されており、右端の写真で見える溝の幅が1.7ミクロンだそうです。
この1.7ミクロンの隙間に挟まるような小さな異物が音の劣化の原因になるとしています。
これに対し、使い古して音が死んだオーガスチンレッドの4弦は以下のようになります:
ご覧の通り、異物がたっぷり溝に詰まっています。
これらは指の油分や水分にごみが混じったものなのだそうです。そして、「ごみ」の主成分は人間の皮膚だと推測されています。
粘土と脂の混合物を塗布すると弦の音が死ぬ
この説が正しいことを実証するため、研究チームは試しに新品の弦に粘土と脂の混合物を塗布してみました。
これは多くの粘土粒子の大きさが1ミクロン以下だからだそうです。
その弦を走査型顕微鏡で撮影した写真がこちらです:
この状態になった弦は使い古したものと同じように、弦自体は新品にもかかわらず、「音が死んだ」そうです。
ちなみに、脂だけ塗布した場合は音の劣化がなく、異物が原因であるといえます。ただし、脂によって異物が引き寄せられ、固着するのは確かです。
このため、手の脂や水分と皮膚片の組み合わせが問題といえます。
劣化が特に大きいのが2.5kHz以上の周波数の音
この研究チームはさらに、「音が死ぬ」というのはどういう状態なのか科学的に分析を試みました。
すると、「音が死んだ」と感じる弦は2.5kHz以上の周波数の音が特に劣化していたそうです。
以下のグラフの1列目が新品のオーガスチンレッドの4弦、2列目が30日間使い続けて「音が死んだ」オーガスチンレッドの4弦です:
グラフは右に行くほど高い音の成分を示しており、音が死んだ弦は高音域の成分が小さいのがわかります。
「張りがない」、「ぼやけている」という印象はなんとなく金属的な音がなくなった状態を示しているように思うので、データと感覚が一致しているといえそうです。
弦を洗ったり煮たりすれば音が復活する?
その昔、お金のないギター弾きは音が死んだ低音弦を鍋で煮て復活させていたといいます。
巻き弦の巻きの間の異物が音の劣化の原因だとすると、これを取り除けば音が復活するわけで、なんとなく理にかなっていそうとも感じます。
この研究でも弦を洗って乾燥させたら音が復活するか実験しています。
上のグラフの3列目が、2列目の状態の弦に対して洗浄と乾燥をおこなった測定結果です。
完全に新品には戻っていないものの、洗浄によって失われた高音成分が多少復活していることがわかります。
先人の知恵はやはり侮れないですね。
研究結果からわかる弦の寿命の延ばし方
この研究の結論から、弦の寿命を延ばすには以下が有効と考えられます。
汚れがつきづらいコーティングを施した弦を使う
巻きの間に異物が付着しないよう、汚れがつきづらいコーティングを施した弦を使うのは有効です。
おそらくダダリオのXTCシリーズが採用しているコーティングにその効果があるのでしょう:
一般的にこのようなコーティングを施すと音に影響が出ますが、XTコーティングは極薄で音への影響がほとんどないそうです。
ちなみに、ギター弦のコーティングのなかにはさび止めを目的にしているものもあり、すべてのコーティングにおいて異物が防げるとは限りません。
ストリングクリーナーを使う
弦を掃除するための「ストリングクリーナー」と呼ばれる製品が販売されています:
これらは弦の滑りを良くするとともに、弦の寿命を延ばす効果があるとしていますが、これは弦に付着した異物が取れるからなのかもしれません。
ただ、巻きの間に挟まった異物が完全に取れるわけではないので、劇的に寿命が延びるかどうかはわかりません。
また、DRからは弦についたさびや汚れを取り、再付着を防ぐ「String Life」という製品が販売されています:
付着を防ぐという意味ではより効果がありそうです。
ギターを弾く前に手を洗う
巻きの間に異物が固着するには、皮膚片だけでなく油分や水分が必要です。
このため、ギターを弾く前に手を洗って油分や水分、そして剥がれかけた皮膚片を落とせば弦の寿命が長くなるでしょう。
面倒なのはわかりますが、おそらく高い効果が見込めます。
ちなみに人によって弦の寿命が異なることがありますが、これは手の油分や水分、汚れの違いによるものなのかもしれませんね。
弦を超音波洗浄する
巻きの間に付着した異物を取り除くには、1ミクロンという非常に細い幅のところに付着していることから、単に洗剤をつけて洗っただけでは不十分と考えられます。
このような隙間の汚れに効果的なのが超音波洗浄です。
超音波洗浄は液体中の気体分子が弾ける際に出る衝撃波などを利用して洗浄するものであり、細かい部分も洗浄できます。
それほど特別なものではなく、めがねや時計などを洗うために普通に入手可能です:
この後乾燥させるのが面倒そうに思えますが、弦の費用をできるだけ抑えたいなら試す価値はあるかもしれません。
私も機会があったら試してみたいと思います。
ほかの原因によって劣化するという説も
この記事で紹介したのは1つの論文の研究結果であり、ほかの説を主張しているものもあります。
たとえば現代ギター2018年12月号では以下の記事で紹介している原因によって弦の音が劣化すると紹介していました:
原因は1つではなく、おそらく複数の原因によって劣化が起きているのでしょう。
より新しい研究論文は存在している?
今回私が見つけた論文は1987年のものと古いです。
現在ではより性能のよい顕微鏡や音の測定器があるでしょうから、さらに深い洞察を得られる可能性があります。
おそらく各弦メーカーはノウハウとしてデータを蓄積しているでしょうから、すでに製品にその成果を適用済みなのかもしれません。
実は先述のストリングクリーナーもかなり効果があると実証されて発売されたのでしょうか?
商売がからむとデータが公表されなかったり、公表されても自社に都合のよいように発表されたりするため、できれば公平かつ公正に評価された新しい論文を読んでみたいものです。